マニュアルで生きる話
PENTAX MX-1
"通勤路。モノクロで。ノイズの乗り方が素敵だ。"
おいっす、僕です。
リアルではおいっすとか言いません。
マニュアルの話。
指示書とかのマニュアルではなく、オートマとかマニュアルとかの方のマニュアルのこと。
いつもカメラの話題ばっかりだけど、今日はオートフォーカスとかも関係ない。
会社の先輩に言われたことがある。
「やっぱり年次を重ねるごとにできる仕事は増えていくし、効率も良くなっていくから頑張ってね」と。
人間ていうのは本当によく出来ているシステムで、高い学習機能と環境適応能力を持っている。時間の経過とともに生活の熟練度は増していくし、多くのことがそつ無くこなせるようになっていくんだと思う。
そういう背景から先輩は仕事の物量に追いつけない僕を励ます目的で上のようなことを言ってくれたんだと思う。
仕事に限ったことでなく、普段の生活でも。
昔はこんなにサクッと朝ごはんを作れなかったし、洗濯物だって綺麗に畳むのに結構な時間がかかった。それが今となっては全然関係ないことを考えながら手を動かすことができる。最早手で掴んでいるものを凝視する必要もない。
まるでオートパイロット(自動操縦)みたいに、無意識で行っているのだから素直に凄いと思う。
でも、無意識で行うということはそれは発想の源泉としては既に死んでしまっているモノになってはいるんじゃないだろうかとも最近思う。
無意識で行うことに疑問は発生しないし、疑問が発生しない以上は外的要因から閉じた系では変化は起こらない。
疑問も変化も起こらない環境からは気づきや、改善の種も生まれないのではないかと。
PENTAX MX-1
"帰り道から見える景色"
なら、新しい面白いことを求める僕にとっては、いつも「当然」と考えていることを意識して考え直すこと、オートで行っているギアのシフトを自分で判断してマニュアルで切り替えてみることは普段からの心がけとしては重要なんじゃないのかなと。
みんながオートで行っていることを自分だけ少しずつマニュアルにできるかな。
これからの自分の財産になるようないろんな気づきを無意識の意識化の過程で抽出していきたいな。
僕はこういう物事の見方をしている、がそのまま自分の自慢になればいいと思う。
PENTAX MX-1
"止マレ。"
意識をすればいつもの帰り道だって今日の写真みたいに違うように見えるんだから。
ずっとそういう世界の見方がしたい。