ゆとりが原付で日本縦断した60日目。旅の終わりと、旅の結論。
船の中。旅中この船だけは本当に大変だった。
どうも僕です。
船の中の写真から低画質で失礼します。船の中にいたのです、4年前は。正味2日間荒波に揉まれてゲロンゲロンだったのです。なにが?と言われたら、それはここ1年くらいでだいたい60記事くらい更新した「原付日本縦断シリーズ」の話です。
そう、この時は約60日の日本放浪を終えて帰る途中。沖縄から東京へのフェリーの中でした。船がついたら横浜のゴールへ向かって少し走ってこの旅を締めくくる、そんな時。せっかく最後の記事ですし、写真も船の中〜東京/横浜の走行写真しかないので、この記事自体もここまでに日本中を見て回って思った事、感じた事を振り返っていきながらゴールまでたどり着く事にしましょう。
※気持ちを込めすぎてめちゃくちゃ長くなりました。
尚、何の事言ってるの?って方は下記のスタート前の記事を参照です。
では例のごとく、本文いきましょう。
フェリーの中でだいたい2日間。唯一GXRで撮った写真がこれ。
だいたい2日間ほど船の中にいたのだけど、ひどく退屈だったのを覚えている。だってフェリーの中にはほとんどお客がいないのだ。話し相手がみつからない。じゃあネットの海にでも逃げようかなと思うと電波もない。というか海上の天気が悪かったのか、めちゃくちゃ船が揺れて体調が悪い。もう正直飲み食いもしたくないレベルだったので、ひたすら寝て過ごす事にしていた。
旅の終わりが近づいているっていうのに、まだこの時はその感慨深さとかも全く湧き上がってこなかったのが正直なところだ。なにせこの時頭の中にあったのは「カツカレーが食べたい」ということだけ。覚えている方は是非思い出していただきたい。2012年、自民党の安倍ちゃんがカツカレーを食べたという事で大手マスメディアに謎のバッシングをくらいまくった(らしい)というニュースがあったが、陸を離れる最後の瞬間に見たニュースがそれだったので、頭の中に残った「カツカレー」の存在だけがずーっと残っていた。揺れる船の中でジューシでスパイシーなカツカレーが食べたい。カツを中央から割って流れ出る肉汁をすくい上げカレールーと混ぜて摂取したい。とにかく陸に降りたらカツカレーが食べたい。(実際この後数ヶ月間カツカレーブームが僕の中で起こった。)
そんな感じで40時間ほどカツカレーに焦がれて悶々と揺れて過ごしたのだ。
あれは...陸かな?
そうして、ついに脳内でカツカレーの味を完全再現できるようになった頃(『素振りカツカレー』と当時のメモに書いてあった。)、ようやく船内アナウンスで陸についた事を知らされた。ようやく揺れない床に降りれるのだと思うとトキメキが止まらない。ひゃっはーと叫びながら外に出た。さっさと相棒のMy原付と合流して走り出そう!
到着した時には夜だった。2012年9月29日のことだ。
数少ない(と思っていた)乗客たちが続々と。。。あれ?こんなにいらっしゃったんですか?
確か有明ふ頭あたりだと思うので、降りたら夜景が綺麗だった。思わず観覧車を見上げる。
相棒を回収!無事に関東に帰り着いた記念にパシャり。改めて色っぽい原付だなと。
後はここから横浜の当時の自宅方面へ向けてラストラン!
札幌で出会ったもう一つの相棒。汚れに汚れてしまったが、お前もラストランに付き合ってくれ!
夜景の一番良い時間だったのかもしれない。なんだか通り過ぎていく光を見ているとじわじわとラストランの感動が湧き上がってくる。
僕は多分単純な人間なので、さっきまでやたら「カツカレー」を連呼していたのに、少しセンチメンタルな環境に置かれただけで簡単に影響される。つまり、見えてきた旅の終わりに勝手に感動し始めていたのだ。うん、わかりやすいね。
初日は都内を走って「やばい!死ぬ!」ってくらい恐怖を感じていたのに、さすがに60日間ほど走り回っていると急激な運転の上達を感じてしまう。
都内を原付で走ったのは60日前だった。あの頃は免許も取り立て、原付も購入したてで運転がおぼつかなかったので、片側2車線の道路でもめちゃくちゃ怖かった。それが日本中でいろいろ回って(途中事故も起こして)、適度に注意を払いながら都内の風景を楽しむ事ができる。ああ、僕も成長したんだな。
都内を流れるいろんな光。いろんな県を回ったけど、東京ってやっぱり何かが違う。
成長した事はきっといろいろある。そういえば初日は野宿の仕方がわからなかった。
はじめのはじめに「あの、旅をしているんですけど...、ここで一晩テント泊させてください」と声を出せるようになるまで何時間かかっただろうか。
初日の野宿の写真。あの日ただの不審者だった僕を駐車場に置いてくれた優しさを忘れない。
あの日、「いいよ」と言ってもらえたことで、どれほど僕が救われたか。その救いでどれだけ僕の人生の選択肢が広がっただろうか。「やれないことはない」そう思えたことで旅全体を通して、いやそれ以降の人生を通して"できること"の幅が恐ろしいほど広がった。
有明〜内陸に走るにつれて街の輝きが目に映る。通り過ぎていく光を思いながら出会った人を思い出す。
遠くにビル群が見える。この写真の数年後あのビル群の中で働くようになる。
自分が小さな勇気を発揮できたことで、旅のなかでいろいろな人とつながることができた。リアルで出会った旅人は両手では全く足りず、それ以外に仲良くしてくださった方を合わせるとメモに残っているだけでも50人を超えていた。それだけの人と日々出会えたこと、そして一緒に旅を楽しめたことがこの一人旅の毎日を刺激的なものにしてくれたのは疑いようもない。もちろんこの旅を素敵にしてくれたのは実際に面と向かってお会いした方々だけじゃない。当時Twitterで応援のリプやアドバイスのDMをくれた方々、リツイートで応援してくださった方々に本当に感謝したい。まだ慣れない旅のはじめの頃、山の中一人でテントにこもって孤独を感じている時、ひどい獣道に迷い込んで夜の越し方を決めあぐねている時なんかにリプをもらえたおかげでどれだけ気持ちが救われたか。本当に感謝してもしたりない。彼らの中の何名かは未だにリアルやTwitterで繋がっている。いつか、どのような形であれその気持ちを何倍にもお返しを出来るようになりたいと思った。
走りながら時々停止してGXRでスナップをする。このヘンテコなカメラも旅の途中で出会った大事な相棒だ。
走りながらも、とにかくレンズを通して写す景色を見てワクワクしてしまう。
カメラの楽しさなんて旅に出るまで全くわからなかったけど、日本を見て回って東京に戻ってくるとその全てが被写体として魅力的に感じる。
他にも旅に出て変わったものがある。例えば景色の見え方が明らかに変わった。旅に出る前は自分の視界に入っているものに何も注意を払わなかったのに、旅を続けながらいつからか見えている景色を注視して「なにか面白いものはないだろうか」をさがすようになった。
多分これは"カメラの楽しさ"との出会いが大きい。
まずはとある用事のために渋谷を目指す。
そもそも旅に出るまで、僕は携帯電話についているもの以外のカメラを持っていなかった。写真を撮ることなんて面倒だし、mixiにはきっと別の誰かがアップしてくれると思っていた。...というかカメラを撮って何が楽しいんだくらいには思っていた。今思えば誰だそれ?って感じではあるのだけれど笑
そうは言っても、旅をしながら動画を更新していきたいし、あとあと振り返ることもあると思ったからとりあえず買っておこうかと思ったのが生まれて初めてのデジカメのWG-1 GPSだった。
もちろんはじめから「わー写真撮ってたのしー!」なんてならず、なんとなく毎日ぽちぽちボタンを押しながら「これでいいのかな?」って具合でカメラと付き合っていた。ところが、毎日スペシャルに絶景を前にしていくと、「この絶景を目にしたドキドキとかワクワクをどうにか形にのこせないものか」と思うようになった。そう思って右手にカメラを握っていることに気がついて、そのまま写真を撮るということにハマってしまったのだ。
やっぱり東京は独特だ。僕の旅した街に一つも同じ街はなかったけれど、その中でも例外だとおもう。
毎日素敵な人や、風景に出会った。そうすると毎日写真を撮った。もっと綺麗に撮りたいと思うと、もっと自分の視界に注意するようになった。僕が出会うものを見るにあたっての態度が変わっていくことを実感したのがこの旅だ。きっとこれまでもいろいろな素敵なものを見てきたのだろう、僕は。でも、少しの注意不足がそれらを見逃させてきたのだと思う。そのもったいなさと、それらを今から拾おうと思えば拾えるという気づきがこの旅を何倍にも楽しくさせた。
そうして渋谷に近づく。
楽しいものを見逃さないように旅をすると、いろいろなものが楽しく見えてくる。そうなってくると、間に合わせて手にしたカメラではもう撮りきれない。そうして初めてちゃんと「写真を撮りたい!」と思ってGXRというカメラを手にした。GXRへの思いはこのブログの他の記事に譲るとして、「写真を撮りたい気持ち」と「写真を撮れる道具」を手にした僕が、いつも見慣れた東京の街に帰ってきて、こんなにも写真を撮りたい街だったと気付いたのは衝撃だった。この意味でも、旅は僕を変えたのだと思う。
渋谷のあるマンションの近くにやってきた。ここで一旦お土産を配ることにする。
一人で飛び出した原付旅だったけど、実は何人もの人に迷惑をかけながら飛び出した。そのうちの何名かがこの渋谷のマンションの一室にいる人たちだ。ここは僕と先輩で学生の時に企業した会社のオフィス。飛び出す以前から予告はしていたものの、代表取り締まり役なのに、「遠隔でなんとかできるからお願い」と無理を言って旅に飛び出させてもらった。彼らからたまにお仕事の電話があったりしたものの、ほぼ人でが一人欠けの状態で仕事を回してもらったのには感謝しかない。
当時の連絡帳。もうこのオフィスもなくて、メンバーもほとんど変わってしまったけど。
ご飯を食べようという誘いを受け、当時のメンバーとごはんを食べに外に出た。
これは今でも渋谷にある楽器のVOX風に改造したヤマハのVox。僕の相棒もこういう風に改造するのもアリだったかも。
食べたかったのは「カツカレー」。何日エアーで過ごしたと思っている笑
決して高いものではなかったけど、心が満たされる美味しさ。。。
なんで60日間の旅の最終日がカツカレーで締めなんだ、ってツッコミは今となればそうだなと思うのだけど、この時はカツカレー狂いだったので許していただきたい。あれね、カレーっていつ食べてもちゃんとカレーの味するのね。
そんな阿呆なことをしていたら、ひとまずの東京到着を祝ってくれる高校の時からの友人が!
ゴールはどこ?って聞かれたけどそういえばゴールをちゃんと決めていなかった笑
ようやく家にもどるよ!今渋谷あたりだよ!とつぶやいていたら、祝ってやるよ!って友人と合流することになった。彼は「ここでゴール?」と聞いてきたわけだけど、なんとなくそれも中途半端だ。なんとなくその当時の家をゴールにしたかったが、目印感もないからそれもパス!...となると近所にある僕の大学にしよう。(なお、旅の途中で卒業しているんだからもう通わないはず...) 彼とは一旦ここで別れて大学前で再集合だ。
自由が丘辺りを通りながら。この辺りも夜は雰囲気が変わって綺麗だ。
だんだんと家が近くにつれて、この旅で結局自分は何が得られたんだろうなんて考える。別に何が得られるなんて考えずに勝手に飛び出したくせにだいぶ現金なことを思っているなぁなんて思ってしまうのだけど。
ぼけぼけ。AFがものすごく遅いので仕方ない。なんとなく綺麗だからいいかな。
環八に合流する交差点へ。もう直ぐ神奈川へ到着だ。
終わってしまうことに対する思いは今となってはわからない。覚えているのは、なんかひたすら体が疲れていたこと。当時のノートを見返しながら今これを書いているのだけど、この部分は「なんか強くなった気がする。割となんでも踏み出せる感ある。」ってかいてある。この旅に出る前の自分はひたすら頭でっかちで、まず何かを始めるよりも一人で部屋にこもって考えることの方が多いタイプだったのだから、これだけ行動ができるようになったことに対する実感なんだろうか。確かにこの旅が後にも影響するくらい大きな転換点だった気がする。だって、道の駅でも駐車場でも国定公園でも一晩寝ることができるようになった。知らない人を誘って飲みに行って友達をいっぱい作ることができるようになった。知らない土地で何か楽しいものをなんとなくで探せるようになった。なんでもとりあえず「やってみよう」と手を出すことができるようになった。そういう意味できっと強くなったって書いたんじゃないかなと。
自分の中で練っているだけでは何も生まれないというのは、これを書いている今現在(2016年)には嫌ってほど知っている。それくらい自分の仕事やその周りには実行しないことが溢れている。もちろん自分だって実行できていないことに埋もれて身動きが取れなくなっていることがあるけれど。
ただ、この旅は確かに僕が実行したものだった。考えるより先に実行して、考え付く前に完了してしまったチャレンジだったのだ。自分が少しでも「行動する人」に近づくためのきっかけに確かになった。今思えばそういう旅だったのかもしれないと思っている。
神奈川に入り、本当に見知った風景に。そういえば行きでここ走ったわ。
この細い道を奥へ進むとゴールの大学が見える。
そんなことを思ってか思わずか、ゴールに設定した近所の大学前に到着した。60日間の誰も得しない僕がなんとなく楽しいだけの旅がようやくゴーーーーーーーール!!!
ゴール前にはあとから合流した友人が2人待っていてくれた。夜遅いのによく来てくれたなぁと本当に感謝。
ごーーーーる!!!!
3人揃って記念写真!理工学の大学院には落ちているのでみんなで大学院の文字を隠してみた。
滋賀で書いた縦断中のプレートは途中でかすれて少し薄くなてしまった。これも旅の証だ。
ここでのお祭りテンションを文章で表現できないのが悔しくて仕方ない。この瞬間ばかりは、60日間のいろんな思い出が吹き出して、とにかく笑った。何をやっても楽しかったし、友人たちが用意してくれた最後のビールかけ(風のもよおし。炭酸水で実施。深夜のためサイレント)も、なぜかひたすら楽しかった。ただ20代の男3名が炭酸水を振って遊んでいるだけなのにひたすら声を出さずに盛り上がった。
炭酸水でビールかけ風のことをする。思いの外噴きださなくてシュール。
悔しいのでめちゃくちゃ振る2人。購入してから直ぐに日本縦断を走らされた相棒をねぎらってくれ。
もう一匹の相棒も旅の疲れをねぎらおう。雨風にさらされて汚れてしまったオリゼーを洗濯機に放り込む。
このまま友人二人と僕の家で夜遅くまで安く飲みながらうちあげをした。肴はもちろん旅の話。ひたすら60日間書き続けたノートのメモは、ここで途切れている。ここまでが僕の旅の記録だった。あとは正直よく覚えていくて、翌日ひたすら爆睡したとか、旅の格好でその辺の近所を歩いていたら不審者扱いされたとか色々あった気がするがまぁ大したことのないことだ。
2012年夏の原付日本縦断はこれで本当に終わり。
コンビニで買ってきたビールと、コカコーラのグラス。その中になぜか龍神マブヤー。
この時彼らにはめちゃくちゃ話すことがあった。旅の間にあった色々な思い出をひたすら話して笑う夜。そして夜が明けて日常に戻った。
最後に
更新にひたすら時間がかかってしまいました。この更新の反省はまとめ記事の最後に書くことにするとして。。。長い間毎度読んでくださった方がいるということが感動でしかたありませんでした。正直、仕事やプライベートの状態がぐるぐる変わっていって、シリーズ以外の更新がしたかったり、途中で飽きそうになったりと最後までグダグダの日本縦断振り返りシリーズになってしまいましたが、「面白い」とレスポンスをいただける方のおかげで、ようやく一区切り書き終わることができました。
この旅はなんだったんだといえば、ただいろんな挫折から逃げて原付で飛び出しただけの自己満足の旅で、それ以上のものではありません。ただ、この記事の途中にも書いた通り、図らずもこの旅から学んだこと、自分が変わったことも多々あり、おかげさまで自分が少しだけマシになったような、そんな気持ちになっているのも事実です。
もう四年前のことになりますが、ある日なんとなく「あ、原付で一人旅をしよう」と思いついて、それを実行したことは、無駄ではなかったのかな、と思います。そして、その旅が本当に無駄でなかったようにするのはこれからの自分の振る舞いなのかなとも。
最後まで自己満足のシリーズでしたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。書いていて楽しかったです。
こちらからは以上でーす!