たまには真面目に良い悪いを考えたり。【SHIROBAKOあり】
PENTAX MZ-S + smc PENTAX-FA 50mm F1.4
"いろいろなんかなーって写真。何がしたかったんだろうなー"
「本当に進歩しているんでしょうか。本当に面白いアニメを作れているんでしょうか。」
今週のSHIROBAKOのみゃーもりのセリフ。
プロジェクトのマネジメントのポジションで仕事をすることになり、膨大な処理項目に押しつぶされて物事の良し悪しが見えなくなってきたときにふと出たセリフ。
きっと自分でコントロールできることがあまりになくなってきて、価値判断もできなくなって、自分たちが作っているものが"いいもの"なのかもわからなくなっていたんだと思う。
そんな折、どんなに物質的に朽ちていても輝きを失わない名作に改めて触れ、その製作現場を訪れたことで、自分の状況に対する上のような疑問が抑えきれなくなって、溢れてしまったんだろう。
境遇は全く違うものの、自分を大いに重ね合わせて共感をしてしまった。
日々の膨大な処理項目は手足を縛って思考を鈍らせる。鈍くなった思考は楽しさに対する感度を下げる。「何が本当に楽しいことなのか」をわからなくさせる。楽しくない仕事は迷いを生む。「このままやってていいのだろうか」が頭の中でいっぱいになる。あとははじめに戻ってこのループをもう一周。
そんながんじがらめの状態に今いるんじゃないのかと。
PENTAX MZ-S + smc PENTAX-FA 50mm F1.4
SHIROBAKOの中では、業界の一流達がそんな悩んでいるペーペーを前にこんなセリフを返す。
「好きな事を夢中で楽しんでやっていた。そしたらこの歳になっていただけだよ。」
「目の前の面白そうなこと、夢中でやってたんだよ。」
処理項目が多かろうが、手足を縛られようが、その対峙しているものを心から楽しんで没頭できるかどうか、というのが今の状況から抜け出すための一つの方法だ、と僕は解釈した。(そこまで考えが及ぶかどうかは置いておいて)
「状況を楽しめ、没頭せよ」とも聞こえた。
どんどん良い悪いの価値判断が鈍くなっていく負のループから抜け出すには、逆境を、状況を、アウトプットを楽しめばいい。
みゃーもりはその言葉を聞き、自分がアウトプットたるアニメが本当に好きな事を思い出した。最後には一流の美術さんの渾身の背景絵を前にして、その絵の美しさと、自分の仕事のほんの一つの完成がその美しい背景絵につながっていることに感極まって涙した。
自分がその立場だったらきっと最高の気分だろう。
好きなものを作る仕事で、自分がその最高のアウトプットに貢献した事を実感できるのだから。自分が関わったプロダクトが形作られていく瞬間は本当に楽しい。それが好きな物だったら尚更だ。
価値判断基準が「楽しい」「楽しくないん」に寄っている僕にはぴったりな考え方だと思っている。
僕は果たしてみゃーもりのように仕事を楽しめるだろうか。
アウトプットを好きになれるだろうか。
今の仕事では難しいかな。作っているものが好きじゃない。
もっと好きな物を作ってそれに夢中になりたい。
未熟な自分がどこまで話の本質を理解できてるかはわからないけど。