銀塩日和

フィルム写真と冒険。そしてSDM生活。

雪、散歩。フィルムカメラ。

一人でいるとしんみりしてしまう。

 

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昼前から降り始めた雪は、あっという間に近所の風景を変えて、僕が昼食を調達しようと家を出る頃には、スニーカーが白く埋まってしまうくらいに積もっていた。徒歩5分のコンビニに行くには、部屋着にコートでは心もとない、家に戻って着替えよう。日中にしては薄暗い部屋の中で外に出て行く服を選ぶ。クローゼットを適当に弄っていると、隣の棚にぽつんと置いてあるフィルムカメラが目に入った。OLYMPUSのAM100。僕の生まれたときに父が買ったカメラだ。なんの色気もないその黒いカメラをコートのポケットに適当に突っ込む。道中シャッターを切って遊ぼう。せっかくだし右手にはGXR。さて服装は、まぁどうせ知り合いには会わないのだから、適当でいい。暖かそうなニットを着込み、申し訳程度にロングコートで外行きの雰囲気を出し、再度家からの脱出を試みる。うん。まぁ、寒いけど我慢できるだろう。

 

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白くなった道路は、ほとんど車も人通りもなく、当然ながら除雪もされていない。ただ歩くのでさえ普段使わない筋肉を使う。気を抜くと滑って転んでしまいそうだ。昨年末から論文執筆と研究の追い込みのために家に引きこもった結果、人生最高になまった身体がギリギリの歩行にアラートを出している。雪国出身の人はきっとこのギリギリ具合に共感なんてしてくれないんだろうな、とかどうでもいいことを思った。

 

同い年くらいのフィルムカメラは軽快にシャッターを切ってくれる。昼ごはんには遅いくらいの時間で、普段なら路地で談笑するおじさんやおばさんの話し声が聞こえてくるものなのに、ほとんど物音がしない。AM100はフィルム自動送りなので、ノーファインダーでパシャっとやるたび、たよりないモーターの作動音だけが白い路地に響く。

 

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よちよち路地を進みながら、何も考えずシャッターを切るのが久しぶりすぎて、新鮮に感じた。極力家から出ない、日中や夜間にかかわらず目標の分量と検証データ量をまとめ終わるまで息抜きをしない。そんな生活を初めて2ヶ月くらいになる。筆は進まず、締め切りが迫るにつれて論文の完成クオリティが下がっていくことにぼんやりとした焦燥を覚える。日中はなんとなく不安を感じ続け、身体は少しずつ鈍くなっていく。ただコンビニに行くだけなのに、誰もいない雪の街は不安を煽り、路面はこの2ヶ月で自分がどれだけダメになったか訴え続ける。なんでこんなところで気を落とさなきゃいけないのだろうなぁ。

 

やらなければいけないことは、別に特別大変なことじゃない。と思う。僕なんかより厳しい条件の人だって、僕以上に成果をあげて前進しているし、僕自身やろうと思えばもっとうまく進められたはずだ。その辺はさすがに客観的に分析できる。なんというか、ただ自分がグズだっただけなのだと思う。そして、それを痛感して自分がショックを受けているのかと言われると、それもまた違う。それ自体今更のことで、29年くらいずっとグズだったのだから、じんわりとそうだよなぁと、そう思うだけのことだ。

 

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家を出発してから30分ほどで帰宅した。行きがけにつけた僕の足跡は、すでに白く埋まりかけている。もやもやしていることも、気落ちしていることも、溜まっていることもすべて自分の目の前に転がっているけれど、いずれにせよ、つもり続けるものはやり切らなければ終わらない。できるものから、一つ一つ終わらせていくしかない。気合が入ったわけでもなく、ただなんとなく目を背けていた当たり前のことを、少しだけ反芻する。

 

撮り切った24枚撮りのフィルムを小さなモーターが巻き上げる音がした。

 

もう少し、論文を書く。